イメージできない自然
『自由って言われる宿題が一番困る』・・・といって、我が家の次男が白紙のプリントを埋めるのに苦労している横で、社会人の姉が『そうそう、わかるわかる。困るよね、ある程度絞ってくれたほうが親切よね。』と相づちを打つ。
どんな宿題か、と見れば・・・社会で、「自分の住んでる都市のことを調べてプリントの地図を埋める」というもの。
(な~んだ)と思うが、次男にとっては、大晦日から正月の三が日までの5日間以外は部活と塾で朝から夜10時近くまで拘束され、空いている時間のほんの1時間半の間にゲームをしているうちに「寝ないから・・」といいながら、いつの間にか横になって寝ている。
そういう生活の中で得た5日間、やはりゲームと貯めておいた「お笑い番組」を見て思い切り笑い転げるという時間を使い、それでも大晦日には1時間以上かけてお風呂場を雑巾で磨き上げてくれたりもしたので、感謝こそしても、文句やグチは思い留めていた。
何世代もこの土地で暮らしているとか、愛着があるというわけでもなく、今ある・・・どちらかというと作られた自然の緑と環境が気に入って移り住んだようなものだった。
自分の実家のある三重県の地方の町も、しばらく帰っていない間にマンションが立ち並び、小さなブナの森も、秘密基地を作った竹林も、れんげ畑も住宅地や道路に変わっている。
当時の川は、すでに汚水が流れてきており、きれいというものではなかった。
子どもの宿題から飛躍しすぎたけれど、「イメージできない」という声が聞こえてくるのは、「自由な調べ学習」に留まらず、「地球温暖化問題で絶滅する生き物や自然にたいする思い」も同じのようだ。
朝日新聞1月4日の生活面の記事に、『温暖化と言われても』というのがあった。
今の子どもたちは、環境問題について、学校の授業や新聞・ニュースなどを通じて学んだり、パソコンのネット情報からレポートを作るなどして、未来への危機感もある程度知識として知っている。
ところが、緑や生き物との自然の中での接点が少ない中で育つと、「自然を守る」という「イメージができない」という。
きれいな川を作るため、残すための工夫も、きれいな川で遊んだことのない子どもに、どうイメージを持たせるのか?という体験から感じさせる努力が必要だということだ。
テレビ・自動車・24H営業の店・クーラー・・・都会に生きる子どもたちには、身の回りにある「便利なもの」を我慢する努力から「地球温暖化」を食い止めるおとなの本気度を見ているんだろうが、「本気に感じられない」といったところがあるようだ。
「ゴミを拾う」その行為ひとつとっても、人の目を意識をする子ども社会もあるようで、問題は「おとなもできるの?しているの?」という本気度と姿勢も見られているのだろう。
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