カテゴリー「つぶやき」の23件の記事

1秒

来年の日本時間で、元旦の1月1日午前8時58分20秒から101秒のカウントダウンが始まり、1秒の閏秒が加算されるという。
8時59分59秒・59分60秒・9時00分00秒・00分01秒・・となる。

7年前にも閏秒の調整があったという。
月の引力との関係や海水の揺らぎで地球の自転にもブレが生じて、規則正しくとはいかないらしい。

これはほんの数秒の調整だが、長い年月をかけて自然の恵みと共生してきた人が、100年という歳月に爆発的に人口が増えた結果、地球に何をもたらしたのだろう?

1900年、今から100年前の世界人口は20憶人で、10憶人の人口増加に100年かかるといわれていた時代が、今や12年で10憶人の増加となり、世界の人口67億5千万人・・・1分に140人、1日で20万人、1年で8千万人増えているという。
単純に計算すると、世界のどこかで1秒間に2人が亡くなり、4.4人が生まれる計算になる。

1秒・・・この瞬間に喜びと悲しみ、戦争と平和の両極に生きている人がいる。

新しい年を迎えるというこのときに、街には8万5千人もの仕事を失い、家を追われた若者や中高年の先行きは暗く、パレスチナでは戦争で300人近い人がこの3日間で亡くなるというニュースを見ながら、不要な電気を消して節約し、家族の揃った団らんで贅沢とはいえない食事をしながら幸せであることに「感謝」する。

現在の世界の人口(外部リンク)

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4つの星

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今日はイブ、ちょっと早いですが、2008年12月31日の大晦日の夕方5時に南西の夜空に見られる星空の紹介をします。

宵の明星が月のそばに見えた頃、水平線のそばの木星を目印に少し下の方を確認してみてください。

普段、目にすることの少ない水星が見えて、四つの星が勢ぞろいするという数少ない空のコラボを楽しむことが出来そうです。

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3日坊主?!タバコをやめるぞ!

我が家でタバコを吸うのは夫のみ、自称20歳から吸い始めたというが、子どもの手前もあって定かではない。

私を含め、長男、次男ともにタバコのにおいには、とても敏感に反応する。
・・・(副流煙に含まれる化学物質は、車の排気ガスと同じ成分が多く、粘膜を強く刺激する。4000種類の化学物質の内、有害と認定されたもの200種類、そのうち40種類以上が発ガン物質。)

Cocolog_oekaki_2008_10_04_23_50転勤族だった昔は、分譲マンションの一室を社宅として借り上げて住んでいたが、ここでの喫煙場所は、もっぱら台所の換気扇の下か、ベランダでホタル族といわれるあのスタイルで、一応家族には気を使っていたようだ。
・・・(マンションでのホタル族もタバコのにおいが布団に染み付くとか、吸わない家にタバコの臭い粒子が流れ込み管理組合でも問題視されるけいこうにある。)

マンションでは、換気口が一つに繋がっているため、台所の換気扇の前で吸っている煙が風呂場やトイレの換気口に流れてくることがある。
・・・(家庭での分煙は、換気扇の下で吸えば大丈夫と思われがちだが、窓を開けないと家の中を循環させているのと同じになる。)

長女が生まれたとき、次男のアトピー症状に『タバコを辞める』と何度誓ったかことか・・・
夫自身も喘息を持っているし、父親を肺気腫で、母親を肺癌で亡くしてはいても、一時の誓いを立てた後は、スモーカーとして復活を果たしている。
・・・(夫がタバコを吸っている場合、妻がタバコを吸わなくても、ハイガンで死亡する確率は両方が吸わない場合よりも2倍高い。)

その度に、母子は、『やっぱり、3日坊主だったね。』と、タバコの臭いに閉口しながら共存して暮らしていた。

ところが、単身赴任を余儀なくし、ここ6年ほどは月に3~4日の夫の帰宅の日以外は、自宅からタバコのにおいが完全に抜けたのだ。
ただし、帰宅時と夫が赴任先に帰った後の2日間は、タバコの臭いがなかなか消えず、母子で喉を痛め、夫に父親に家族が文句を『ブーたれる』というパターンが続いていた。

ところがその3日坊主の夫が、ここ2年でメタボ体型をジョギングで9キロの減量に成功し、今度は禁煙に挑戦した。

タバコの値上げも懸念材料にはなっているが、健康に気を配り始めたことは大きい。
もっぱらニコチンパッチの助けもあったが、はじめて1ヵ月、そろそろ他人のタバコの煙にも嫌悪感が伴うようになってきたそうだ。
・・・(ニコチンは猛毒の代表格、肺から入って血液に溶け、10秒以内に全身に流れる。母乳からも排出され、臍帯から胎児にも。依存性が高い喫煙者だと30分もするとタバコが吸いたくなる。)

  日2箱(260円×2)として、
  1ヶ月・・・・15、600円  
  3ヶ月・・・・46、800円
  6ヶ月・・・・93、600円
  1年・・・・187、200円
  これは、すっごいhappy02
  ちょっとした皮算用もしたくなる・・・
smile

タバコによる幼児の誤飲事故の1位はタバコで、タバコ1本に幼児2人分の致死量のニコチンが入っている。
ニコチンガムの誤飲も注意がひつようだが、パッチを貼る事故も注意が必要ということです。

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おとなが子どもに見せたくないもの

大人が子どもに見せてはいけないと思う態度・行動ランキング(gooランキング9月25日)

ランキング順位は、
① ゴミのポイ捨て
② お礼や感謝の言葉を述べない
③ 公共のものを大切にしない
④ 約束を守らない
⑤ 失敗したとき、人のせいにする
⑥ 注意されると逆切ギレ
⑦ 店員・他人に横柄な態度で接す
⑧ 知っている人に会っても挨拶をしない
⑨ 陰で他人の悪口を言う
⑩ 嫌いな人を無視したり、意地悪をしたりする

駅に向かって歩いていくと、通勤するお父さんたちのポイ捨てタバコの吸殻ゴミがどんどん増えていく。
中には、女性や高校生が歩きタバコをする姿も見る。
車道沿いの歩道や植栽には、スーパーのゴミ袋が絡み、マクドナルドの紙袋やゴミ、空き缶が転がっている光景が目に入る。

ランキング上位ということで、多くの人がこの光景に「心地よくない」と感じ一票を投じたののだろう。
そういう気持ちの人が多いということ・・・関心がないわけではなかったんだ、というホッとした気持ちと、何かのきっかけやタイミングがあれば積極的にゴミ拾いに参加する人がいるのではないか?とも思う。

朝、校門近くで挨拶運動を行いながら清掃をしている教頭先生やセーフティのボランティアの持つゴミ袋に、拾ったゴミを入れる児童の姿を見て、とても清々しい気持ちになった。
拾ったゴミをきちんと受け渡せるおとながいて、そういうおとなの姿や姿勢に共感していないと自然にできることではない、そう思った。

「ゴミを捨てないで!」ではなく、「自分の作ったゴミは持って帰りましょう!」

ついつい、軽い気持ちで・・・ゴミ箱がなかったから、そう繰り返される一つの行為が環境や治安の問題にまで発展する。
自分の作ったゴミは、自分のポケットやカバンに入れて持ち帰る、それだけでいいこと。

子どもには否定ではなく、肯定する言葉で声かけをするとともに、それを行動で示すことで正しい行動やマナーが身につく。
おとな自信が身を律していない規範意識の薄い社会で、「見られていなければ何をしてもいいんだよ。」という考えがはびこることのないようにしていこう。

『子は親を映す鏡』であると同時に、子どもたちは周りのおとなたちの映し出す社会を見て育つ』、ということになる。

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フリートーク企画どうなる?

小中学生1600人もの子どもたちが、向かい合うふたつの校舎に通学をしてくる通学路がある。

構造的な問題や生徒たちの横に広がった他者を省みない歩き方。
後ろから迫ってくる自転車は、通勤・通学に先を急ぐため、坂道でもスピードを落とさない。

砂時計のように狭いトンネルをくぐって出ると視界は広がるが、右側にある階段から降りてくる人とぶつかりそうになる。
急な道の横切りも日常茶飯事におきる。

その歩行の仕方に危機感をもっていた市民グループが、その生徒の歩行の仕方について実験を試みた。

土木事務所から借りてきたポールを使って歩行者と自転車の通り道を分けたりしたが、ポールでさらに道幅が狭くなる。

今度は白線テープを道路にじかに貼って試した。

すると、生徒たちが白線内を歩くようになった。
横断歩道に見立てたラインも引いた。
誘導されるとそれにしたがって歩く生徒たちがいる。

律儀にきちんとラインに沿って歩く子たちの姿があった。

もちろん、相変わらず道を横切る生徒たちもいるが、それを律する子が友人にいると嬉しくなったりもした。

友だちに引きずられる子もいれば、導く子もいる。

そういった子たちの声を聴きたくて、『フリートーク』という企画が立てられた。

ところが、アクシデントが起きた。
リーダーが1ヶ月の入院をしてしまい、話が頓挫してしまった。
再開したのは、8月中頃で、すでに計画の9月20日という動かせない設定にあてるには少々時は遅くはあったが、そのまま企画は進んだ。

生徒24人、最低でも20人を集めなくてはならなかった・・・が・・・
結果 『ゼロ!』 という信じられない数字だった。

無理にでも集めるか?
辞めるわけにもいかない・・・でも・・・無理やりを強いるところに釈然としないところがある。

多くの問題を抱いた遊歩道という通学路を楽しむための企画が目白押しで企画されてきた。駅伝大会に、ウォークラリー・・・そのどれにも使われている遊歩道という道の問題点を考える会にしたいという原点に返る必要がある。

それにしても、生徒集めは大変だ。
それを理解していなかったのは仕方がない。

子どもたちは、大人から与えられた企画に従わされて動かされていることが多い。
後ろから後押ししたかったのだが、生徒会を通していなかった!というのも、大きな失敗だったと思う。

明日は、理事会happy02 キツイ言葉がくるかしら・・・と縮んでしまっている。

180°展開して、大人の「フリートーク」はダメ?なんて考えたりもしている。
これからみんなが使う遊歩道の気持ちのよい使い方を考え、地域の問題点を大きな視野で見る。

身近な問題から逃げてる?それとも発想の転換?

まずは教頭先生、「生徒が集まりますよ」って大きく構えすぎていませんでした?
いえいえ、道筋を深く練ってこれなかった私の責任ですね。

(;´▽`A`` ハァー またひとつ打たれ強くなるか折れちゃうか、どっちでしょうね。

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「月の砂漠」の詩に寄せて

保護者と教師の合唱団が歌うのに用意されたのが『大地讃頌』(カンタータ「土の歌」から/大木惇夫 作詞/佐藤眞 作曲)、『月の砂漠』(加藤まさを 作詞/佐々木すぐる 作曲)のCDと楽譜だ。

作詞の加藤まさを氏は挿絵家でもあり、『少女倶楽部』に1923年に発表した挿絵と詩が「月の沙漠」だ。

月の砂漠を はるばると 旅の駱駝がゆきました
Camel金と銀との鞍置いて 二つならんでいきました
金の鞍には銀の甕 銀の鞍には金の甕(かめ)
二つの甕(かめ)は それぞれに 紐で結んでありました
さきの鞍には王子様 あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの 白い上着を着てました
ひろい砂漠をひとすじに 二人はどこへいくのでしょう

朧にけぶる月の夜を 対の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えていきました 黙って越えていきました

早速、練習するが声が出ないから気もそぞろに・・・ナンデ『月の砂漠』?
なんて、横道に逸れたりしている。

砂漠は沙漠とも書く。
『砂』か?沙』か? で、情景が変わる。

の場合は、石が少ない・・岩石の砕かれた植物の生息しない不毛の土地で、部分的には「一部の」状態を表わす(ザラザラ感)。

の場合は、水が少ない・・降水量のきわめて少ない土地で、砂がさらに風化した状態で、「広がり」のあるさまを表わしている(サラサラ感)。

日中の気温が40度の灼熱の砂漠も夜になると15度まで冷え込み、冬には零下7度まで下がることもあるという。
日陰に入ると25度というから、陽ざしの強さも半端じゃない。

温暖化の影響で、一秒進む度に、1900平方メートルという速さで沙漠化が進んでいる
1年で換算すると四国と九州をあわせた600万ヘクタールの面積が、リアルタイムで沙漠化しているという。
地球の表面積 5.1億平方メートルの内、陸地は1.49億平方メートルで29%
沙漠化を食い止めようとボランティア協会の多くの日本人が中国・内モンゴルでポプラら油松の植林活動をしている。

私たちの生活の中では、異常気象による暑さや滝のような土砂降りの雨といった天候は体験しても、サハラやゴビといった『砂漠』はイメージの世界でしかない。

アラビアンナイトやシルクロードを想像し、緑溢れるオアシスがあり、『死』とはかけ離れた浪漫を持つのは、日本という水や自然の溢れた国で育ち、それが当たり前のように暮らしてきたからだろう。

大正浪漫を感じさせる『月の砂漠』は、当時の人の心に異国の風を感じさせたことだろう。
歌い継がれた85年という歳月のうちに、砂漠の持つイメージが『死』を感じさせる深刻な状態にまでじわじわと迫ってこようとしているし、それに気づいた人たちが何とか食い止めようともしている。

でも・・・想像の世界は、崩れない。

共感し、体験したことしか私たちは自分のモノにすることができないのだ。

自分にできる温暖化対策を考えつつ、「月の砂漠」を口ずさむ。

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いいわけ・・・

夏休みが終わった!

この40日間、次男のテニス部の部活が朝8時から4時過ぎまである。
お弁当の用意をして送り出す・・・という日が毎日のように続いた。

補導の先生が、『あ~あ、テニス部・・それは大変だねぇ』
と言ってみえた意味がわかった。
毎日、日に日に真っ黒になっていく次男は、帰ってくるなり横になると、すぐ寝てしまう。
30分もすると起こして、夕飯を食べさせて・・・すぐ塾の夏期講習に向かう、という日がお盆を除いての生活のパターンだった。

当然・・・宿題もこなすことはムズカシイ。

ということで、ここしばらく終わっていなかった社会のレポート2枚と理科の実験を手伝わされる日々が続いた。
おまけに、9月に予定している『中学生のフリートーク』の中学生の募集、そのお手伝いを呼びかける先生に主旨を説明した手紙、関係者に出す手紙、進め方の打ち合わせ・・・他にも、パトロールや資料のまとめと、てんてこ舞いの毎日になってしまった。

おかげで、宛名ラベルシールの設定や社会で調べた「聖徳太子」の雑学、理科で実験した「竜巻」などの探求にセイを出す毎日となった。

お誘いする育成委員の住所録とにらめっこして、エクセルに住所録を打ち込み、封筒の幅にあったラベルシールのシートレイアウトサイズを設定して、いざ印刷・・・という段取りになって、大きな失敗をしてしまった。

印刷される住所にズレがあったので、『印刷のドキュメント取り消し』をしたはずが、接続してあった印刷機の設定を削除してしまったのだ・・・ショックとしかいいようがない。

長女が帰ってくるまで、私には回復できないので、他の資料つくりにセイを出した。
回復には2時間もかかる、疲れて帰って来たお姉さんに『ゴメンネ!』のメールを送ったら、いつもより早く帰ってきてくれた。

そんな、こんなで、しばらくブログ更新をする時間の余裕がまったくなくなってしまったのです!

また再開するべく、集中します。

(利用したリンク 宛名シールの作成

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難しい会場の確保

9月の中頃に開催予定の中学生のフリートークについて、共催の市民グループの代表代行でもある顔なじみのN氏に説明をしていただいた。

中学生に試した遊歩道の歩行ルールの実験前、実験中、実験後の検証から、「他者や自転車、弱者、そして自分自身にも関わる危機管理意識を引き出し、みんなが気持ちよく安善に歩ける遊歩道にしよう!」というワークショップを取り入れたフリートークをしたい!と関わった代表や校長、育成会長が思った。それを引き受けて場所と事務的なかかわりをする予定だ。

思ったより熱い想いを語るN氏の熱弁もあり、大幅に時間を過ぎてしまった。

問題は、空調設備のない中学校の体育館で行うには時期的に熱中症続出も懸念されることだ。

参加生徒は20~24人くらい、5・6人くらいの市民グループのサポートをつけて、部員20人・・・収容100人ほどのホールのギャラリーは、残り50人くらいが入る。控え室も入れて、ホールと1部屋の確保は必要だ。

コミュニティーセンターでは、当日の1ヶ月前に部屋を申し込むことになっているため、予約のために何時間も前に並んで予約するまでは場所でさまようことになる。

センター長(館長)の話からすると、
『センターのの使用は、例え育成委員会の講演会企画であっても1ヶ月前までホールが使えるかどうかは、市民のみなさんと同じように並んでください。優先的に使えるように配慮しているのは社会福祉協議会の使用に限ります。』というのだ。

さらに、
『学校という器があるのだから、体育館があるでしょう。本来ならそこを利用してもらうところ・・・市民の皆さんの使用と変わりはありません。』とも。

サークルで週1回の利用も、大切な市民の活性の場ではあるけれど、年間に1度の大きな企画も準備と平行していくつかの場所の確保を図らなければならない。

先だっての補導員講演会では、現場の当日のシュミレーションミスで大ホール会場の席の確保や来賓の弁当の調達というミスが連続した。

タイムスケジュールに大きな狂いはなかったが、現場で計画書に基づいた指示をする人とは別に、自分の一言で人や配置を勝手に動かす人が現われる。

プロジェクターを設置するために空けておいた1列分の席を繰り上げてしまったために、そこにあった4人分の席がなくなってしまった。会場係りは大目玉をもらったが、それを指示したのは計画書を見ていたはずの総責任者の所長で、会場責任者に連絡もないまま勝手に変更の指示を出したために現場は大わらわだった。

予定より遅く届いた昼食を参加者に配ったのはいいが、肝心の来賓者の控え室に届ける人が忘れてしまい、そのために残された弁当を「余った弁当」と勘違いした人までいて、責任者の確認もないまま処分してしまう寸前だった、といことも。

会場設定や事務的な作業の部分を任されはしたが、気持ちよく進行し終わるまで最後まで気の抜けない裏方の責任がある。

まずは、24人の生徒の確保!
9月に入る頃には会場も確保しなければ手紙も出せない・・・「やはり、最悪は体育館も」という気持ちで構えないと心に余裕も持てない夏休みになってしまいそうだ。

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コンビニの深夜営業自粛?

<埼玉県>コンビニなどに深夜営業の自粛要請へ(6月16日、毎日新聞発信記事)

二酸化炭素(CO2)排出削減のための深夜営業の自粛を要請する方針を固めた。夜型スタイルの生活を見直し、地球温暖化対策地域推進計画に盛り込むというものらしい。

『国民の生活スタイル見直しで省エネを』と題して、深夜番組の放送や夜間のライトアップ、コンビニの24時間営業を見直す議論がでてきた昨年の12月、ヤフーでのリサーチ結果。
1位・83%・・・見直したほうがいい(12640票)
2位・16%・・・見直さなくてもいい(2321票)
3位・ 3%・・・わからない   (395票)
合計15356票

我が家を中心に半径500メートル以内に、どれだけの深夜営業の店があるか?
コンビニ(24h)・・・5件、スーパー(24h)・・・1件、本屋(10-翌2)・・・1件、ショッピングセンターなど(10-22)・・・3件、コーヒーショップ(7-24)・・・1件、ファミリーレストラン(24h)・・・2件、同じく(9:30-翌2)・・・2件

24時間店舗だけで7件、夜中の12から2時まで営業しているところは6件もある。

夜遅くまで営業している店があるということは、そこで働く従業員とその帰りを待つ家族がいるということ。私の夫も10時から22時まで営業しているショッピングセンターの店長をしており、サラリーマン家庭とは違う生活スタイルを送っていた時期があった。

単身赴任で家を出てから、やっと世間の生活時間に家は戻ったが、こういった夜型の生活を送る人は、なんと多いことか?

塾帰りの子どもたちもコンビニで10時の夜食を買う客となっている時代である。電気の発明以来、24時間見られるテレビ放送やインターネット、太陽の光のような明るい街が当たり前になっていった。

『限りある資源』という危機意識の想像をフルに働かせ、その危機感を考えるのがおとなの役目でもあるが、便利さや快適さを求めすぎた代償は子どもたちの暗澹とした未来につながる。

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負けるが勝ち

負けるが勝ちという先人の教えがある。

負けることで相手から勝ちを取るというものだが、強いものに屈する生き方なのではなく、自分がそうしたほうが得をするという考え方だ。

日本では、周りを見て気遣い、自分から合わせようとする傾向が強い社会だ。争いごとをいかに上手くかわせられるか、起こさないか、巻き込まれないようにするか・・・そういった自分を守るための行動が他者を巻き込まない「平和的」な解決方法のひとつでもある。

ところがプライド(自尊心)の高い人ほど、この勝ち負けにこだわり、同じ土俵に立とうとする。自分(自らを尊ぶ心)の前にいる相手もまたプライドを持った人なのだ。

プライドをかけた勝ち負けをすれば、両方が自尊心に傷を付け合うことになる。心を傷つけあうくらい愚かな勝ち負けはない。相手を許す心の広さがあれば、すでに人の器の大きさが物語る、ということだろう。

「二頭の象の争いは、草を痛めるだけ」という外国のことわざもあるのが的を得ているかもしれない。

る杭は打たれるという戒めがある。

先と同じように、周りを見て気遣い、自分から合わせようとする意識、人より抜き出たいという意識の傾向が強い社会で、先頭から後ろに並ぶものは、高さの調節を微妙に合わせていかなければ、調和しない。

同じ目線でお互いを見ることは、他者の気持ちに届く目線が必要ということだろう。

しかし、出過ぎる杭は打たれないとも付け加えられている。

仲間意識に囚われることなく自由に生きること、意味があるからこそ他者に合わせることなどない。そういう意識が自然にあるからこそ、放っておかれていても自然でいられるのだろう。

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血液型あれこれ

血液型でみる性格診断については賛否両論があるが、多くの人はコミュニケーションの一つとして血液型であれこれ話題を進めることはあると思う。

日本人の血液型比率は、A(4):O(3):B(2):AB(1)となる。賛否両論の多くは、4つに分類された血液型で性格が決め付けられ、いじめがあるなど差別を生み出すことがあげられている。

実際、『あの人は×型だからこういう人なんだ』とか、『×型だから嫌なヤツ』と言った扱いをされたことのある人もいるだろう。科学的に根拠がない、ただの血液にすぎないのだが・・・そこから生み出される差別の歴史は、1902年にオーストラリア人によって血液型が発見され、分類されたところから始まり、80年ほどになる。

ただの血液の型の分類であるはずなのに白人・黄色人・黒人と肌の色のように分類され差別が生み出されたように、統計的な血液型でみた性格の分類情報として捉えてしまっている。

異なった環境で住む人とのコミュニケーションをとるための一つの手段として、先祖のルーツを違った目線で考えてみればいい。

《両親の血液型と子供の血液型の出現割合》

両親の組み合わせ O型 A型 B型 AB型
O×O 100
O×A 40 60
O×B 43 57
O×AB 50 50
A×A 16 84
A×B 17 26 23 34
A×AB 50 20 30
B×B 19 81
B×AB 22 50 28
AB×AB 25 25 50
(図は、血液型の確率より)
血液の赤血球に含まれるA・Bそれぞれの抗原の有無と、A・Bそれぞれの抗体の形成の有無の組み合わせで血液型が決まる。あずき家の場合、A×B=AB・B・Aで、さかのぼるとA=A×O、B=B×Oのそれぞれの家族がルーツとなる。

『人類の始まりはA型からだった。』といわれているようだが、人類が誕生して条件の異なる生息地域の環境に適応させて生きてきた気質の遺伝もあるように思う。世界の血液型分布に見る生きていくために必要とされてきた能力を照らし合わせて思い描いて見てみると面白いかもしれない。

(参考までに→世界の血液型分布) 

世界に分布するバイタリティに溢れるO型、森林や山岳地帯に多い用心深さを必要としてきたA型、これまで差別的傾向の強かったB型人間の生き方が、ストレス社会に脚光を浴びているのも生きるために必要な情報収集能力の高い気質が備わっているからかも・・・という見方できるかもしれない。 

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目と視覚でモノを言う

人と動物とのコミュニケーションの違いで明らかなのは、『言葉を話す』ということだが、もうひとつ『目』がある。

天敵から身を守る手段のひとつとして、目の動きから次の行動の視点を悟られないようにするために、動物には白目の部分が見えないということらしい。人は、群れて暮らすことでコミュニケーションをはかる手段ののひとつとして、目でものをいう力がついたのだろう。

『人間はどのようにして相手の言いたいことを指しはかっているのか?』について研究したアメリカのペンシルバニア大学での実験結果によると、
言葉によって伝えられるメッセージは全体の35%、残りの65%は、話しぶり、動作、ジェスチャー、相手との間の取り方など、言葉以外の手段で伝えられるということだ。

日本人が欧米人を相手に気持ちを読み取ろうとする場合、習慣的に目を見てしまうが表情が読みにくいという。欧米の場合、気持ちを読み取るとき『口元』を見るとわかるらしい。

日本と欧米では文化も違い、日本では感情を抑制し、目でモノを読み取ったり悟ったりする。欧米では感情を正しく伝えるために、オーバーな動きを口と体で表現する。そのため、日本人は目の周りにある眼輪筋(がんりんきん)が発達し、欧米人は英語の発音などからみても顔の口角全体の筋肉が鍛えられていく。

534629960103061990ライブサイエンス・ドットコムが顔文字で見る、日本とアメリカの違いについて調べたことがある。日本は笑顔で顔文字を表現する場合、目の形を印象的にするが、アメリカは口の形を強調するという結果だった。

ネットやメールによるコミュニケーションが発達し、相手に送る言葉だけでは表わせない心境を顔文字で表現する。
 よかったね (*^-^*) ファイト 0(^0^)0 
 何さ! (# ̄3 ̄) アヤシイ (;¬_¬)
 (‐_ゞゴシゴシねむ~い  <(”0”)>ナンテコッタ!
といった具合になるのが日本の絵文字。

アメリカの絵文字は、
 :-P 舌をペロのスマイル  #-)  赤面スマイル
 :-[  嫌みなスマイル    ;-) うっふん
 
=:-| ツンツンヘヤー?  :-* おしゃべり禁止?    

日本の絵文字は、視覚的に見ても表情の豊かな絵文字が溢れているが、アメリカの絵文字は横向きで口元を見るだけで感情の様子がわかる。

目を見ることで心の持ちようがわかるという日本で、目を見ても心が読みにくい若者が多い。自分の心を封印して付き合うという仲間意識で人とつながっているためかもしれない。目線を下げて、心の内側を見せないようにする人や不登校やひきこもり、いじめを受けた後遺症のある人、それ以外の人の中にも髪で顔を覆い見せない人や常に帽子を深くかぶり顔を見せない人を何人か見てきた。目線を合わせて話が出来ないために、面接を必要とする進学や就職活動に自信をなくす人もいるという。

人と直にふれ合うコミュニケーションの場がインターネットに変わってしまったことによって、目で人の気持ちを読み取る文化が後退していくのではないか?という危惧がある。

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KY的な文化

若い人たちが生み出した『KY式日本語』で仲間意識を高める文化となった。その一方で、人と人を結ぶ会話によるコミュニケーション能力が落ちているために、ストレスを抱く若者は多い。

『あいつ、まじKY(ケーワイ)だよねぇ』

インターネットの掲示板を中心に使われだしたKY=空気が読めない』をはじめとするローマ字略語のネット語が、女子高生のケータイメールを中心にギャル語として氾濫し、『KY式日本語』として若者文化となった。

CB=超微妙、MK5=マジキレる5秒前、IW=意味わかんない、BKK=場の空気壊す、DQN=ドキュン(頭の悪そうな不良)などなど。

言葉遊びのひとつとしてウケたというのもあるのだろうけど、学校の友だちや職場の仲間といったグループで、わざと略語を使って悪口や相手を非難する言葉を共有しているような印象を持つ。自分達の仲間ではない相手に対して、言いにくいことを仲間内にだけわかるように非難したり、軽蔑したりすることもできるのだ。

中でも、KYは、空気が読めない奴ということで、相手と自分たちの仲間との間に暗黙の隔たりを感じさせるという嫌なものだ。仲間意識の高い集団や組織から、異質なものを排除するという、いじめや権力組織の構造と同じだ。

いじめの起こりうる空気や今、話題の偽装問題などの起こりうる空気は、その空気を読めない人を排除することで、より閉鎖的な空間となって悪を蔓延させるのだと思う。。

その場の空気を読むのに必要なのは、相手の顔の表情を見ることと相手の言葉に同調することが必要で、思ったことを吐き出しているように見えるKY式日本語』ではあるけれど、場の空気を意識する会話の中には、常に自分という存在の本音や弱音を仲間に見せることが出来ない人間関係を作っているのではないだろうか。

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端午の菖蒲湯

Shoubu 今日(5日)は、端午の節句で、我が家では普段入れている入浴剤をやめ、年に一度の『菖蒲湯』で邪気を払っている。お風呂に入れる菖蒲はサトイモ科で、アヤメや花菖蒲はアヤメ科という植物だということも、スーパーや花屋さんに売っているもので間に合わせている身にとっては以外だった。

職場の同僚が自然に生えている菖蒲を用意したというから、さぞや香りも楽しむことができただろうとうらやましく思う。それでも、根に近い部分には精油成分(芳香成分)が皮膚を刺激して決行を促進するといわれるだけあって、ポカポカに温まる。

12ヶ月の縁起物の薬湯〔1月松湯〕〔2月大根湯〕〔3月よもぎ湯〕〔4月桜湯〕〔5月菖蒲湯〕〔6月どくだみ湯〕〔7月桃湯〕〔8月はっか(ミント)湯〕〔9月菊湯〕〔10月生姜湯〕〔11月みかん湯〕〔12月柚湯〕

菖蒲湯、みかん湯と柚湯、長野県のお土産にいただいたハーブの詰め合わせしか試していないけれど、このハーブのカスを庭に撒いたおばが、カモミールの花が一面に咲いたという後日談もあった。

ところで、何年か前に日光の安い温泉宿に泊まったおりに、若い人達の傍若無人ぶりに驚いたことがあった。

テレビでよく見かける温泉番組のように、女性がバスタオルを巻いて入浴するシーンがあちらこちらで目にすることになった。さすがに最近では「バスタオルを通常は使用しません。」というようなテロップが流れている番組もあるようだけれど・・・。かけ湯もせずに入る人達に、50代のおばさんたちも目を丸くして「マナー違反よ。」と声をかけていた。

中には、バスタオルを巻いたまま、シャンプーを始めた二人組みが、そのバスタオルを取り替えることもゆすぐこともなく、サッとお湯を流したかた思ったら湯船に入ってしまった!!すっかり温泉気分も吹き飛んでしまったという経験がある。

病気や手術の後遺症で水着で入れる温泉など喜ばれるサービスもある。しかし、そういった提供のない温泉では、最低限の家庭で教えられるべきマナーも必要だ。まずは、スーパー銭湯、修学旅行などで家庭の恥をさらすこともないように気をつけましょう。

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タイトルの『みどりの璞(あらたま)』について

璞(あらたま)とは、まだ磨かれていない掘り出したままの石のことをいう。

『理』という文字には、中国哲学の概念から、璞を磨いて美しい模様を出す』という意味がある。さらに、「ととのえる」「おさめる」[すじ目をつける」という意味がある。

「心理」とは、『その人が生き、感じてきたこころの過程に刻み付けてきた璞を探ること』なのか、と思った。

上級カウンセラーという素晴らしい先生に出会えて、その先生のお話から、子どもの起こす問題行動が、社会問題や自分自身の問題を映し鏡のように見せてくれていることを知った。そうすると子どもは、問題行動をすることによって、おとなや親に『わかってほしい』という気持ちを一生懸命見せてくれているんだ!と思えてきた。

長男の不登校は、学校で起こっている学校崩壊という問題からくるストレスや理不尽な思いを私に見せてくれた。そして、親として、もっと子どもの心に寄り添って生きることを反省させられた大きな出来事だった。それがあって、今の自分が存在しているんだという感謝の気持ちで一杯だ。

そして、世の中の子どもたちの魂の叫びは、何とも悲しいものか!
苦しい・・・死にたい・・・「死に急ぐ子どもたち」
おとななんか、信じられるか!・・・「破壊行動や傍若無人な態度の攻撃的な子どもたち」
みんな死んでしまえばいい!・・・「自分の存在理由が見いだせないで、他人のいのちを奪う子」
どうでもいいじゃん・・・勝手でしょ・・・「性を売る子たち」
気に入らない・・・「いじめをすることで、鬱積を晴らす子たち」
人に合いたくない・・・「引きこもる子どもたち」

子どもたちの社会は、おとなの作ってきた社会の投影である。

ジェネラティビティ・クライシス・「次世代を育む子どもの心の危機的状態」である。

おとなは、ひとりひとりに持っている自分の「璞」をもっと大切に磨き上げて欲しいと思う。磨き上げることで「璞」は、自分の心やそれに映る自分を取り巻く世界を見ることができるようになるだろう。

曇ったままで見えるものは、何も無い。

磨いているおとなたちの横で、子どもたちも大切に磨いていくというものだ。

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友達との塾弁

姉兄は中学の間、駅前にある2:1の個別塾に通わせていた。

次男も5年生から同じところに通わせていたのだけれど、週に1度、1教科90分で13250円(今は算数のみ)、これから英語も・・・となると中学生料金14750円×2教科の計算になる。

上の子達は、この金額でお願いしていた。長女の場合は、友達と組んでみてもらった上に通塾に5分と安心度で選んだ。長男も不登校気味にもなっていたので、友達に逢いたくないという点で個別であることやこの近さが合っていたようだ。

それから3年、以前に比べてさらに近所まわりに塾が5件も増えた。その中のひとつに次男の友達が8人も通い始めた塾がある。

お母さん達に情報を求めてみたところ、勉強が楽しくなったらしく成績もアップした!・・・という人が多い。中1料金17850円で週3回40分×3教科と理社となる。理社がつく日は弁当持ちになり、夜6時から8時までが夜9時になることもあるとのこと。春・夏・冬休みの講習は必修で、中2になると夜中まで勉強させることもある・・・ということだった。
(上の子の時も夏・冬の講習ではお昼に弁当を持たせていた!?塾弁!)

そういえば、JR駅前の方に通わせているお母さん達は、塾弁に頭を悩ませているといっていたな・・・仕事をしていない専業主婦の母や午前パートの母達は、夕方になるとお弁当を持たせるからと、忙しく帰っていった日もあった。当然、一日仕事こなす母達は子どもにお金を持たせてコンビニ弁当となる。

塾弁のことも聞いてみると、近くの牛丼やマックのハンバーガーが塾長から差し入れされることもあって、そういう日は事前に連絡もあって助かる上に、子どもも友達とこうやって過ごせる時間が楽しいということ。時々、講師の息抜きタイムがあって集中力も保てるらしい。

夜5時半過ぎに帰宅する私でも何とかなりそうだ。
毎日でもないし・・・「変えてみる?」と子どもに聴いてみた。

いつも仲のいい友達がたくさん通うところ、家から5分と近い場所、友達は成績が上がった・・・といいこと尽くめである。
それでも、本人には一つの不安があった。近頃よくおこる過敏性腸炎の腹痛で、ここのところ遅刻や休みになりがちなことだ。
自分のペースで塾に勝手を言ってきたけど、今度の塾で自分のせいでみんなに迷惑がかからないかなぁ・・・
本当に心の優しい子・・・『こういう気持ちは大切だけど、心配するようなことが起きるとは限らないよ。いってごらん。』

かくして、塾弁とやらを作ることになりそうです。

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長男との買い物

7日から長男は、3泊4日の修学旅行(実際は卒業旅行)に出かけ今晩帰ってくる予定になっている。

一般的な高校と違い旅行のための積立はしていない。人数的にも落ち着いてきた3年生になってから話し合って決めたようだ。

ハワイや沖縄、北海道といろいろ出ていたようだが、長崎に落ち着いた。家庭の財政事情もあり、8万4千円を一度に支払うのも入学金を納めた後の2月ではきついものがあった。(うちは4月に年1回のボーナスなので、急な出費はあせります)
それでも50名の卒業生の内、参加者は26名となった。

長男が「旅行に行く。」と言ったこと自体がとても嬉しいことで、他人には(なんで?それくらいのことで?)と思われるかもしれないが、引きこもり傾向だったのでホッとした。

それだけに、旅行に着て行く服がない!(外用にあるのは一式のみ・・・)
学校へ行くとき以外はほとんど部屋に引きこもっていて、歯医者と本屋に出かけるときに着ていくものは決まっている。服選びは私の苦痛の種だった。

中学以来、どんどん背丈も伸びること25センチ。Tシャツは買えてもウエストが何センチあるのか分からないためにパンツが買えないので彼を引っ張りださなくてはならない。何とか応じてくれるのは、通学に必要な靴を買うときだけで、用が済むと帰ってしまう。

旅行やこれからの通学に着ていく服を選ぶために、やっと買い物に付き合ってくれた。
どうやらはじめのうちは、マネキンに着せてある一式を買って済ませるつもりでいたらしい・・・ウエスト68センチ、体脂肪9%ともなると体型は着てみないとわからないし、売場の在庫も乏しいくらい平均的な体型から見ると細過ぎる。

何とか、チノパン2枚、長袖Tシャツ2枚、スエットのカーディガン、靴1足を買うまで、買い物付き合わせることができた。シャツにトランクスと靴下は、私に任せて帰ってしまった。父親は、というとオシャレで、昔から私が買うことはほとんど無いという対照的な人だ。

自分の好みの服を選ぶというのは、内にある個性を色や形、デザインで表現することの出来る手段だと思う。その時の流行に合わせようが、こだわりがあろうが、それは自由だ。

長女も会社に勤めるようになって、やっと自分の好みの服を選ぶようになった。学生時代は、買い物をしている途中で突然泣き出すという不安定な状態だった。自分が好きになれず、何を着ても似合わないのに・・・という気持ちが押し寄せるのだという。まわりで買い物をしている同年代の女の子たちを見て落ち込んでしまうのだった。

私が選ぶことのない配色やデザインの服を着て、毎日の組み合わせに頭を痛めている。
その時のその時代を生きる自分を精一杯、表現していって欲しいと思う。

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道路は誰のもの?

地域の掲示板では、『道路で子どもを遊ばせること』について、炎上中だ。
今の時期、公園に行っても遊ばせている人が少ない・・・という書き込みから、寒い時期なので子育てサポートの施設情報が寄せられていたところに、自宅前の道路で遊ばせているという投稿が寄せられたことで炎上となった。

どの街にも分譲住宅の街並みの中に、袋小路や行き止まりのような道路がある。
郵便・新聞配達に宅配、ご近所の車が出入りする程度のところで、ご近所の共有の庭の延長のような感覚で遊んでいるところばかりではない。

大通りから一筋、住宅地に入ったら、抜け道として何台かの車が進入してくることもある。
道路で遊ばせるべきではない』という意見の大半は、
公共の車道であること。母親達の立ち話の声のほうが気に障るし、本当にきちんと見ているのか?という心配。しつけやルールの曖昧さが事故につながる。

車の量の少ない道路で、大人の目があるのだから遊ばせてもいいのではないか』という意見では、
事件事故で物騒なおりに遠くの公園に連れて行くより親達が見守る1・2時間くらいの間くらい大目に見てもらいたい。ご近所の子どもの顔を覚えられていい、住宅内を徐行しないで走る車の方が問題。道路だからダメと杓子定規に考えなくても車が来たら避けさせているし子ども達も避けている。

子ども達が仲良く遊んでいる姿を見るのは、ほほえましい光景のひとつだ。
しかし、子ども達が車の出入りするところで遊んでいて、思わぬ事故につながることもある。車庫入れをする親の車でどれだけの子どもが圧死のニュースを目にしただろう?
車で轢いたほうは犯罪になるけど、遊ばせていた親は罪に問われるだろうか?

「ご近所の親達が平気で道路でおしゃべり、子ども達も道路でキャッチボールにバトミントンをしている。小さな子達は、乗用カーのおもちゃで坂道を下って遊んでいるし・・もう、何度か「危なくないですか?」って注意したけど、全然変わらない!」
若いお母さん達に聞き入れてもらえなくて、気苦労をしているMさんは、もうこれ以上は言えないと私に訴える。

最近では、こういった問題を交番に訴え、お巡りさんに来てもらって注意してもらうところもある。
「近所の方から道路で騒がしくしていてうるさい、注意して欲しいという通報がありました。」といった具合で、よく遅くまで騒いでいる不良少年達を通報するのと同じやり方だ。

第3者に警察を入れることで、スムーズにご近所トラブルを解決させるのが今のやり方かも知れない。注意や意見を上手に聞ける人も伝える人も少ないからだ。
(子ども達が楽しく遊んでいるのだから・・) (ご近所どうしなのだから・・)と、すべてはこれくらいなら許される、許されてもいいという自分達の判断基準でまわっている。

それぞれの立場は平行線のようで、子ども達が大きくなり立場が変わるまで理解できないだろうな、と思える。

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掲示板の書き込みから

年末、地元の掲示板でショッキングな書き込みがあった。私の友人のご主人が管理している掲示板で、パソコンを開けたときは大体、見るという習慣がついている。

その日は、夕方の4時に開けてチェックしたところ、一時間前に書き込みのあった新しい投稿文が頭にあった。

コンクリート詰め殺人された女子高生の悲惨な死に方と、犯人(当時は少年達)と思われる名前、電話番号、貼り付けられたサイトには犯人の顔写真、残忍な殺され方をしたいくつもの記事が書かれたサイトに通じた。

あまりにも具体的な内容で悲惨な出来事が、公開されていたこと、この犯人達を捜しているので協力して欲しい、という19歳の予備校生が投稿者であったことを友人にメールし、管理者のご主人に削除をお願いした。

この記事が消えたのは、夜の7時から8時の間だったと思う。
仕事先で、この記事を見つけたが勤務中であったことや、家にあるパソコンでないと操作できず、削除に時間がかかってしまったという。

つくづく、インターネットを通じて入る情報の怖さを感じた。誰でも書き込みのできる掲示板は、便利であると同時に、匿名性もあるため誹謗中傷や悪意のある投稿を妨げることは、管理者の迅速な対応に頼らざるを得ない。

中学の掲示板の方も、ここのところ、『会わない?』という書き込みをした不審な人物が現れた。
「お〇〇ちん」という、この人物。『舐めて?』から始まり、『いいよ』と答えた子との会話から「会う」という話に発展した。『女じゃなかったらぶっ殺すよ(笑)』という書き込みまであると心配になってくる。『混ぜて』と割り込んできた常連の男の子の参加で、今のところ具体的な話には進んでいない。

昨日の環境部部会で、12月に行った研修会「ネット犯罪の入り口に立つ子どもたち」の現状や対策についての内容を地域に発信するという活動を追加した。裏面は、公園の現状の様子を訴えるものだ。A3の大きさの記事もここ2日で書き上げた。

午前中、一足早い反省会をし、午後は意見交換をしながらランチ。

この1年間、子ども達や地域の現状を見ながら活動を考えてきた。多くの人は、1年や2年といった期間で立ち去っていく中、6年というのは長すぎたかもしれない。こうやって残っていてくださる先輩に助けられながら私も古株になりつつある。

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価値観と、ものの見方

― より良い種族を残すために、対極の相手を選ぶという。―
「地域の会」の交流会での話だ。

「価値観が合わなくなったので離婚します。」といったことを原因にあげた有名人の離婚会見をよく耳にする。
この『価値観が合う』という理由で結婚相手を選ぶ人は多い。
似たもの夫婦とか、考え方が似ているといった話を耳にするが、そういったパートナーを選んで、長い人生を歩んでいこうとしている二人が、スタートから全く同じ価値観を持っているということが、本当にあるのだろうか。

『価値観が合う』という言葉自体が、あやふやな、ものの見方のように思う。
夢と希望に溢れた二人の将来の姿、共に年を重ねた幸せな人生の終点を語り合う、夢の行き先に寄り添ったものだろう。相手に対しても、理解しようとする気持ちや寄り添ったものの見方が出来る時期でもある。

例えば、マグカップを見て、言葉で表わそうとしたときのように・・・
見ている方向によって、「持ち手が右に見える人」、「持ち手が左に見える人」、「四角にしか見えない人」、「上から見る人は〇にも見える」
このマグカップがどんな形をしているか、相手にわかってもらおうとする話の仕方と、それを聴いて理解しようとする気持ち。

やがて、自分の価値観の押し付けや、思い込みで、すれ違いが生じる。
相手に合わせて無理をしていたのか?
勝手に思い込んでいたのか?
理解してもらえないと不信感が募ったのか?

相手をよく知ろう、理解しよう、わかろうと歩み寄ることで、自分にはないが、相手にはある素晴らしい才能を、新たな自分の種族に引き継がせるという才能を「女性は持っている」という。そのために、自分にない部分の魅力に惹かれるのだろうと・・・。

自分になく、相手にある良い点も、悪い点も、ものの見方によっては、見えないことや気づかないこともあるし、欠点のようにしか見ていないこともある。
例えば、自分がせっかちな人が夫を「おっとりしている」と見るか、「どっしりと構えた人」と見るか・・・その見方によって、始終イライラしてしまうか、頼もしく感じるかといった具合だ。

さて、自分のパートナーに置き換えて見て見るとどうだろう?
空気のような存在の人も、欠点ばかり見えてため息をついていた人も、パートナーのこれまでの見方を、自分の欠点を補う素晴らしい対極の人という考え方で、しばらく見方を変えてみるのも「自分磨き」に必要なことなのでしょうね。

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サンタの贈りもの

 早いもので、12月を迎えた。街やデパートでは、10月からクリスマス商戦真っ只中だ。

 小学生の高学年ともなると、クリスマスプレゼントもかなり高額品となってくる。ゲーム1枚でも6000円くらいはする。中高生ともなると、iPodの4GB以上あるものをおねだりする子もいて、サンタさんも大変だ。

 上の子の時には、世間並みにサンタさんからのプレゼントと称して枕元にプレゼントを置いておいたが、長女が小学校4年、長男が1年になったおりに、帰ってくるなり 「サンタはお父さんだったのってほんと?」 と、クラスの友達に教えてもらった長男が・・・とうとうきた!

 実は、サンタさんは戦争で苦しむ子ども達が世界のあちこちにいるのを悲しんで、お金のある国の子どものお父さん達には、「パパサンタ」として代わりを頼んだの。そして、お菓子の詰め合わせを世界中の子ども達に配っているのよ。去年のプレゼントは、パパサンタが〇〇のために買ってくれたゲームで、一緒においてあったチョコの詰め合わせがサンタさんのものよ。

 かくして、プレゼントのおねだりは、お父さんに変わり、知っての上でか少々値段も考えるようになった。下の子にいたっては、物心ついたときからパパサンタにクリスマスプレゼントのおねだり、チョコの詰め合わせはサンタさんが夜中に置いていってくれていると思っている。(いた。?)

 友達が高額なゲーム機を「サンタさんからプレゼントされた」と聞いたとき、「どうしてボクはチョコなの?」と不服そうな顔をしたときもあった。でもちょっと考えて、「パパサンタのまちがいか。ボクは、パパサンタにまだ買って欲しいもの言ってなかった!ゲーム中古でもいいよ。」なんて言われると(夢、こわしたかしら・・・)なんて思ってしまうときもある。

 それにしても、幼稚園や小学生の子ども達が、サンタさんに何をプレゼントされたか?という話題が溢れる一方、ホームレス中学生もいたり、それに近い暮らしをする子どもがいる日本。中国では、農村から拉致された子が万引き集団として強要され、アフリカでは家族が惨殺され、子どもは少年兵として拉致されている。そういう話題を新聞で拾っては絡めながら、少々諭すようなことを子どもに聞かせてしまうこともある。

 物が溢れる国で、少しでも物を大切にする気持ちを持って欲しいと思う。その気持ちや考え方が、人も思いやる気持ちに育つと思っている。

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弱音は本音

  伸びゆくいのちの力にも書いたように、小さく殻に閉じこもってしまった人の中にも、
「私は、こう ありたい・・・」 「もっと、こう したい・・・」と、どんなに小さな願望でも、その殻を突き破る力を、本来は持っていると思う。

 虚勢を張って生きている人ほど、何重にも鎧を付けて、その中にある弱さを見せないようにしている。ツッパリの不良少年やケバイ化粧の女子高生は、見た目にもよくわかる。
 しかし、真面目そうに見えるフツーの子達が、ある日突然、不登校という行動に出たり、ナイフを振りかざすといった行動に出ると、目に見えない鎧を付けている人ほど、たじろいでしまう。

 この、目に見えない鎧を付けている人が多い。
 学校の荒れで目に付くのが、見た目にも行動にもすぐわかるツッパリ達だ。それに先生達が振り回されてしまい、そこに置いてけぼりを食らったフツーに見える子達が、目に見えない部分の鬱積を溜めていく。
 学校崩壊したおりの中学で、ツッパリ達に、2年間も振り回され続け、その間に不登校生徒や転校する生徒が多く出た。ツッパリ達の仕業だけでなく、フツーに見える子達の中で、いじめや無視が起きたのだった。

 先生に、かまってもらって、心配されて、そこからうまく立ち直ったツッパリもいた。学校や家にも居場所のない子達は、フツーに見える子達の中にもいる。保健室が、ツッパリの居場所になってからというもの、フツーに見える子達の駆け込むところがなくなってしまった。絶えず、緊張を強いられる中にいるため、友達にまで、本音が話せない子が増えているように感じる。

 本音は、鎧というごまかしを脱がないと出てこない。
 本音は、自分の中で一番、人には触れられたくない弱い部分だ。弱音を吐き、自分の弱さを人に見せることで、自分の存在価値を失くしてしまうと思ってしまうのではないかしら・・・。
 この弱音を吐ける人を見誤ると、さらに酷い状況になる。それを知っている人は、用心深くなり、本音の部分を隠してしまい、また鎧をつける。

 弱音を吐ける場所を作ること、信頼される人間関係を作ることが求められている世の中なのだけれど、容易なことではない。
 私は学校の中で、親の会を立ち上げるために、協力してくれる人がいた。そして、本音で子ども達のことを話し合える仲間にめぐり合えた。卒業した今では、仲間達と、自分達自身の弱音を吐ける場所と、頑張っている自分を褒め称える時間をつくっている。

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太いロープを降ろしてほしい

 臨床心理学士・横湯園子さんの講演会をまとめたものの中にあったタイトルだ。大人が手を差し伸べても、細いロープだと安心して掴むことが出来ない。太い、しっかりしたロープでないと掴めないという、この言葉が、いまだ痛烈に残っている。

 いじめ、摂食障害、家庭内暴力、虐待、薬物中毒、リンチが怖くて抜けられない不良グループ・・・大人の世界とは違う、小さくもそれがすべてという社会で生きる子どもたちの本当に感じたままの言葉だと思った。とにかく今の状況から抜け出たい!と這い上がって掴んだロープが細かったために、深い淵にまた落ちてしまったという経験のある子どもが発した崖っぷちの怖さを感じた言葉に聞こえるのです。

 何度も何度も、しっかり掴まれと励まし、声掛けをし、本当に安心・安全を感じた瞬間に掴むことが出来たロープは、しっかりと太いロープであると確信したのでしょう。そういった一人で支えるロープもあれば、何人かの人たちが協力して編みこんだというロープもあるでしょう。一本一本の細いロープも編みこめば、とても太い、しっかりしたロープになる。

 そういった大人の支えを必要としているにも関わらず、何て大人は信用されていないことでしょうか。少なくても私達大人は、家庭に安心・安全を求める我が子に対して、“ 家族はみんな繋がっているんだよ。” という実感をリアルにしていかないとと思う。

  

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