カテゴリー「しつけ・マナー」の11件の記事

姫路城への落書、止まらない世界遺産への落書

===姫路城で落書き100個以上===
2009年3月4日(水)19時52分配信 共同通信

世界文化遺産の国宝・姫路城(兵庫県姫路市)「西の丸」の建物で、人名や相合い傘などを刻んだ落書きが100個以上見つかっていたことが4日、分かった。城を管理する姫路市によると、落書きがあったのは西の丸の「百間廊下」と呼ばれる長さ約250メートルの建物。建物は一般公開されており、付近に監視カメラがあるが、落書きは死角になった場所に集中しているという。
世界遺産・姫路城(兵庫県姫路市)の大天守(国宝)などで、100以上の落書きが見つかったというニュースがありました。
10年以上前の落書きもあるとみられ、管理する姫路市は、目につきにくい場所だったため、これまで、わからなかったということですが・・・
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昨年の6月にニュースとなった岐阜市立女子短大の学生たちによる落書きに続き、イタリア・フィレンツェの世界遺産地区の大聖堂にも京都産業大学の男子学生が落書きをしていたことがわかり、その後も文化財への落書きは、名古屋城の天守閣に奈良の法隆寺、鳥取砂丘(景観上、砂に描いた名前も落書きになる)、五輪の聖火リレーでもめた善光寺と日本全国に及んだ。

落書きという迷惑行為は、れっきとした器物破損罪(懲役3年以下、罰金30万円)。文化財保護法では、重要文化財への落書きは(5年以下の懲役か禁固、または30万円以下の罰金)となります

「窃盗→万引き」、「占有離脱物横領罪→放置自転車の乗り捨て」のように軽いノリで人の気持ちを不愉快にさせる行為が軽く扱われているように思える。
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私たちの街でも、公共物への落書被害はあとを断ちません。「公共物に書くことで仲間に度胸を見せる」という元暴走族もいるようですが、こういった行動に出るのは規模や内容にこそ違いはあっても、フツーの子どもたちの遊びの中にも見られるようになりました。

テレビで取り上げられることも多くなり、おとなのモラルを欠いた隠し撮りを見ることもあります。
子どもたちは、見ているのです。
公園や公共物、個人の家や塀に放置されたままの落書きから生まれるのは、環境のさらなる悪化に留まらず、街の住民のモラルの低下を招くことになるので、本当にやめてもらい行為です。

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誠意ある態度

我が家にふたりもいる息子たちにとってバレンタインデーとは無縁の日々を今年も送っている。
幼稚園時代には、手作りチョコももらっていたのに・・・ネ。

昨日から寝違えたのか首から肩にかけて重石を乗せたような感じで、すっかり気分が落ち込む・・・とりあえずチョコレートケーキを買いに、私も重ーい腰を上げて夕方イオンに出かけた。

どうせいくならと、明日行われる駅伝のコースをたどって遊歩道に落ちているゴミや放置自転車の確認をしながら造成地の前まで来ると・・・

13日には無かった看板の前で怒っているおじさんに出会いました。

『あら?こんな看板13日に通りかかったときには無かったような・・・』
の声に、すばやく反応された。

『何!?やっぱり、無かったか!』
『工事が始まってから、土埃は舞うわ、うるさいわ…文句を言ってやろうと思って看板探したが無いわ…。今日、やっと見つけたわい。なんとゆう誠意の無い会社じゃぁ!!』とお怒りモードです。

おまけに、170区画に、あちらは203区画あると聞いて呆れるやら・・・。
(203区画の工事の方は問題ないようです。)

看板をよく見ると、許可年月日は2月6日で、工事期間は2月16日からになっていた。
この土地慣らしは工事期間に入らない??都市計画法に無頓着なのだが、『誠意がない!』というお怒りは、よ~くわかる。

おじさんを見送って、公園近くまで来ると・・・

あら~・・・中学生の20人くらいの集団が公園にたまっていた。
スピーカーをつけた改造自転車!に、黒塗りに改造した自転車の数々が遊具のある場所に所狭しと置かれている。
お子さん連れのお父さんが小さくなってお子さんと遊んでいた。

タバコを吸っていた少年に、
『あら~どうみても中学生が吸っているって見えるよ。未成年のタバコはダメでしょ!辞めなさいね。』これは素直に辞めてくれた。
注意をよく受けているのかな?

『自転車も一箇所にまとめないと、小さな子が遊具で思い切り遊べないのは可哀相よ。』と近寄ってきたリーダー格の子(鼻ピアス2つもしてるのぉ~)にも・・・。他の中学校の生徒たちのよう。
『はい、わかりました。』とは返事をしてくれた。

彼らは、このときゴミを散らかしていたわけでもなく、タバコと自転車の置き方くらいのマナー違反程度、それ以上の疑うべき言動は出来ない。

本当は、注意よりも、改造自転車のスピーカー音の出所の方が興味があったが・・・また今度聞いてみることにしよう。。。

なにせ、私ひとりですし・・・

明日は、駅伝大会。
着々と準備が進んだアスファルトのテープをたどりながら家に帰ったた。

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ボーリング大会と中1の子の根性焼き

2ヶ月も前から計画していたボーリング大会の日がやってきた。

小学校の元6年1組の母たちが、中学に入ってからも子どもたちとつながろうとして作った2回目の親子ボーリング大会で、参加したのは、おとな8人、小学生6人、そして中学1年生15人(27人中)が、7チームになって熱い戦いを行った。

中学生ともなると、土日といえども部活中心の生活で、全く調整がつかなくなってしまった。
そこで、市教研の日の小中学校の部活なし・一斉下校を狙って、午後3時半集合・スタートという平日に設定したわけだ。

ボーリング場の半分のレーンを占領する大人数だが、中1の親子が仲良く遊んでいる姿は、私たちだけのようだ。

両端に追いやられた中1の別グループが2つ、高校生のグループ2つが他にいた。

別グループの中1は、見覚えのある顔?だと思ったら、次男と同じクラスの子や幼稚園が一緒だった子たちだった。

その中に、普段タバコを吸っていると噂のあるK君がいた。
次男が言うには、「あいつは不良だけど、いい奴だし、おもしろい奴だよ。」

そのK君のボールを持った手の甲には、丸い火傷の痕10数ヶ所はあっただろうか・・根性焼きといわれているを見つけた。

中学生のこの隣のグループは、とにかく落ち着きがない。

アイスクリームを片手にボールを投げたり、次から次にボールを持ってくるので、ボールが詰まって出てこない、とりあえず山積みにして待っていた。
彼らは、10レーン向こうに離れたグループのところに行ったまま帰ってこないのだ。

戻ってきた彼らに、使わないボールは片付けるように促すと、素直に従う・・・が、また同じことをやってしまう。

中1の彼らにマナーを教えるのは、近くにいるおとなの責任ではあるけれど、子どもだけでこういった場所に出入りするのも考えようだ。

中学生の子ども料金2ゲームで800円・・・フツーなのかしら?
うちの子のお小遣い1500円の半分は飛んでしまう!

同じことは、ファーストフードの店やマクドナルドなど、早くから子どもだけで出入りする店が多いことや、それを許す親が多くなったことに首をかしげてしまうのは、私が古いのかしら・・・ね。

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危険回避のしつけ

8日午後5時半ごろ、宇都宮市の中2の男子生徒が意識不明の重体となった。
いつも仲良く遊んでいた友人たちと、危険と隣り合わせの遊びから思いもかけない事態となってしまった。

その後の速報でも、9月下旬から今月にかけて少なくても3回、首まで埋まった後に早く抜き出た者が砂をかけて遊ぶ「砂風呂遊び」が行われおり、メンバーも入れ替わって遊んでいたということから、盛り上がる楽しいゲーム」という意識危険な遊び」という意識を薄れさせていたのかも知れない。

思いもかけない事故・・・というのは当人たちと、そういった現場を見ても黙認していた危険意識のないおとながいた場合の話だ。

首まで埋められて遊ぶ・・・さらに顔に砂をかけられるという、そこから想像する生き埋めという恐怖が、『恐怖やスリルからの脱出』という盛り上がる遊びのひとつとなっていたとしたら、ストッパー・止め役のいない友人関係が、今の子どもたちの社会のような気さえする。

4日には、川崎市の中学校の4階の教室から転落して死亡した中1の男子生徒がいた。
1持間目の国語の授業中、教師がプリントを配布しているときに「鬼ごっこ」をしていて、机に登ってバランスを崩したことによる転落というが・・・学校の授業中にわが子が亡くなるsign02なんて、親は想像さえもできない。

授業中にも関わらず、ふざけがいき過ぎているのに、教師さえもきつく止めることをしていない。

中3の少女によるひき逃げ事件にしても、同乗していた同級生の男子生徒はふたりもいたし、ありとあらゆる場所でふざけ、行き過ぎ、抑制が効かず、といった事故や事件はおとなの世界でも起こっていることだ。

小さな幼児の頃から、日本の子どもたちは寛容に育てられすぎているのではないかと思うことが多い。

ルールやマナーは社会性や身を守るための危険回避を意識したものを「しつけ」と呼ぶと思うのだが、それを教えるはずの親が先回りをしすぎるくらいに回避させたかと思うと、教えもせずに自由を与えてこなかっただろうか?

親が子に求めるのは「友だちのような明るい親子」関係で、子どもが友人に求めるのは、「おもしろい」という付き合いのできる関係だという。

バラエティ番組のような軽いノリいじりの世界が子供たちのオモテの顔の世界で、多少嫌なことがあっても、顔に出さずに家に持って帰っても、親にも話さずに飲み込む。
友だちのような親子関係を求め、物を与え、しあわせそうな顔をしている子どもに自分の安心があり、「何か」があっては安心していられない。

そこを子どもは察しているから、「ほっといて」ということになる。

不安や苛立ち、嫌と言えない環境は、危険回避能力を鈍らせると思う。

親子の関係の中にこそ、ルールとマナーがあって、「決して命を粗末にするような危険な行為はしない、回避する」という、気持ちを込めた子育てをしないと大切な人を守れないのではないだろうか?

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フツーの子の規範意識

ここのところ規範意識が低い・・・という話をよく耳にするようになった。

朝、近所の通学路の横断歩道前に立つと、斜め横断や信号無視をする生徒を多い時は15分で16名ほど見かける。

見られてるゾッ( eyesign02 ちょっとした声かけで一気に3名近くまで減らすこともできる。

残りの3名は、常習的におとなに反抗するタイプの子たちなので、何かあるんだろうな・・・くらいの気持ちを込めて真っ直ぐ渡ろうねーsign03とみんなと同じように声かけを続けている。

多くのフツーに見える子たちは、おとなの見ていないところで「これくらいなら・・・」の軽い気持ちでルールを破るように感じる。

ひとりが缶ジュースを買った連帯責任で、3日停部のテニス部に続き、大会遠征の陸上部の10数人が電車を子ども料金で乗ったとかで、2週間の停部で、こちらの方も練習時間を奉仕活動に費やしている。

悪いことを悪いと言えない風潮にあるのは、何も子ども同士だけのことではない。

悪い行為を見ても、そ知らぬふりを決め込むおとなの何と多いことか・・・そういった風潮を作っているのを子どもが見ることもあるだろう・・・

Cocolog_oekaki_2008_10_29_00_03規範意識(モラル)の低下・・・これは年代を問わず、社会全般にいえる問題だ。

生活空間は拡大し、公共の場所でも他人に関心のない空気の中で、『監視されている』という感覚も鈍くなっている。
その意識を育てるはずの家庭や地域社会の基盤が崩れ、人のつながりは偏りのあるネットワークだけで支えられているように思う。

対人トラブルを避けるために深入りを避け、気の合った仲間だけでつくる小さな社会で通用するルールは、外の社会においては未熟で通用しない・・・はずなのに、それを学ばせるおとなたちが無関心なのだから、育つはずがない。

補導歴のない子が突然起こすトラブルは、親の衝撃も大きい。
『まさか、自分の子に限って・・・』
なんて滅多にないと思わないほうがいい。

それほど、衝撃的な事件が起きてしまった。

ゲームセンターのメンテナンス中に店員が持ち場を離れたときの生体認証カードの抜き忘れ?で、コインが大量に持ち去られる事件が起きてしまった。

監視カメラで少年は割り出されたが、すでに回収不可能な事態となった。
この時の少年もフツーの学校生活をおくっている子だったし、それを分けてもらったり、安値で買った子たちもフツーの子たちだった。

抜き取った子も盗品と知りながら買った子も窃盗盗品譲受け等の罪になる。

(関連過去記事→)たかが万引き?そこから生じる罪の深さ

規範意識を育てるための地域での教育として、親だけには出来ない外の社会で学ばせるという意識や関心を子どもたちに向けていってほしいと思う。

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電車内で化粧すること

電車内でのメーク、8割に抵抗感(J-CASTニュース/6月4日)

電車内での化粧行為を見る方も、年齢別に抵抗感に意識の差がある。

10~20歳代の6割、30歳代からは年齢があがるほど抵抗感を感じるようになる。50歳代以上では9割以上が抵抗感を持つという結果だ。

『はしたない』・・・行儀の悪いことを指す言葉だ。
①つつしみがなく、礼儀にはずれたり品格にかけたりして見苦しい・・・みっともない(見とうもーない、と同じ意味)
②人に対する配慮が欠けるさま
③自分に向けられる他人の言動を、不快に感じたり迷惑に思ったりするさま

国際的なマナーとして、ヨーロッパなどの公娼制度の残っている国では、娼婦から声をかけたり、価格交渉をすることは違法行為で、営業中のサインのかわりに人前で化粧をしてみせる。札を見せた客の価格に不満があるときは化粧を続けて不服であることを示す。化粧をやめたときが交渉成立の合図となる。

つまり、公衆の面前で化粧を見せる行為は、『売春婦と間違われることになる。』ということだ。こういった行為が新聞で取り上げられだしたのは、1995年の頃の朝日新聞の天声人語がはじまりらしい。

1995年というと、地下鉄サリン事件でオウム心理教が社会的に注目を浴びた頃。多くの若者が現実逃避?何かそういう気持ちになった。

安室奈美恵がファッションリーダーとなり、女子高生がコギャルファッションブームを作りだした年でもある。ルーズソックス、ミニスカートの制服・・・そして、独特のアイメークで素顔を隠した女子高生たちの姿。

電車内で注意したおばさんの会話
おばさん「電車内で化粧するなんてみっともないから止めなさい。」
化粧女 「ここは、あなたの部屋じゃないでしょ。公共の場所よ。公共の場所は自由に使えるのよ。」
おばさん「・・・」

内、外の区別はもはや無くなってきている。
『公共の場所は、自由に使っていい』という感覚は、電車内の携帯に留まらず、秋葉原の歩行者天国を占有することで問題になっている下着の撮影会や路上やコンビニ前で座り込んで飲み食いして散らかす子たちなど、きりがない。

家の中、気のあった仲間、という小さな社会だけが自分の世界というくくりでしかないという若者が増え、他者に『無関心』という世界が作られているようだ。

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絵本で育てる勧善懲悪

幼児期における絵本の読み聞かせは、「考える力、想像力が育つ」「言葉の出会い」「スキンシップで愛情を与える」といわれている。肌のふれあう、たくさんの安心の空間を共有し、物語の世界へとはいっていき、そこでまた共感するひとときを持つことができる。

小学校でも、『心の豊かな子どもたちを育てよう』、『たくさんの本と出合う』といったことから、絵本の読み聞かせをしているところは多い。私も、K小学校の保護者会のサークルで『絵本の読み聞かせの会』に6年ほどいたことがある。

私が選んだり、回ってくる絵本は、『鬼』をテーマにしたものが多かった。
『だいくとおにろく』、『さんまいのおふだ』、『おにのいしだん』、『島ひきおに』、『じごくのそうべえ』、『だごだごころころ』、『ないたあかおに』、他にも『おにぞろぞろ』、『鬼のうで』、『ももたろう』・・・など昔ばなしが多い。(絵本ナビを見るとあらすじがよくわかります。)

善人と鬼との知恵のかけ引き、悪人に残された良心の目覚め、何よりも善悪をはっきり正していくという爽快感を得ることができる。中には、「しまひきおに」や「ないたあかおに」のように、孤独で友だちがほしいだけの純朴な鬼と、ずるがしこい人間の心の醜さに子どもたちも「可哀想」という共感を持って聴いてくれたものもある。

読み聞かせをしたい絵本を持ち寄り、『おとなのための読み聞かせ』をして、次の絵本を選ぶ。子どもだけでなく、おとなにも楽しい本選びの時間であった。悲しい物語に涙ぐみ、楽しい話に笑いが起きる、自分の知らなかった本に出会うための、充実したひとときだった。

幼児期における『イド』・『自我』・『超自我』の学びを安心の空間で自然に感じていくこともできるのが、絵本の世界にあると思う。(参考超自我の発達と親のかかわり

善悪を読み取ることで、正義が勝つ爽快感、理不尽な社会への怒りなどを何度も味わいながら大切なことを養っていって欲しいと思う。中でも、『正義が勝つ』『悪は制裁される』という爽快感を与える絵本は、ぜひ選んで欲しい。

最近の傾向かもしれないが、昔話は残酷な懲らしめがあって敬遠される親もいる。
しかし、『勧善懲悪』は、子どもの見る「ヒーロー戦隊」や「ウルトラマン」、おとなの見る「水戸黄門」や「大岡越前」の時代劇ヒーローなどのように長い間、愛されている。
テレビヒーローで見る爽快感もいいが、絵本には、『見る・読む・聞く』で養われる想像力がある。

そういった勧善懲悪の爽快感が、足りない世の中のような気がする。

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子どもたちの規律の乱れ

サッカーのクラブチームが数多くある。
次男も、小2の秋からから小4までサッカーのクラブチームに入っていた。土日の小学校の校庭を借りて、午前は1~3学年、午後は4~6学年が練習をしていた。

チームに入る小学校の子どもたちが増え、3人から4人いるコーチでは間に合わないこともあり、ここを巣立った中高生も手伝いに来てくれることもあった。
友人の息子さんも手伝いに行っているのだけれど、(どうなってんだ?!今の小学生は?)というくらい、チームプレーであるはずの競技が、その子たちによって乱されるという。

対抗戦になっての練習で、チーム分けのさいに、あからさまにブーイングを出す子がいる。ブーイングを出された子は、申し訳なさそうにチームに入る。反対に、これもあからさまに、「ヨッシャー!!」という歓迎を受けて手招きされる子もいる。交互にそういった光景を目の当たりにすると、見ていて気持ちのいいものではない。

試合が始まると、ほとんどそういった態度をとる子たちのスタンドプレーとなってしまい、ボールの来ない子たちは砂いじりをしだす子までいる始末だ。ブーイングには合わなくてもこの状態に不満を持つ次男は、小4で辞めてしまった。

あれから2年以上経ち、このクラブチームの目立つ子たちの話題がちらほらと聞こえてくるまでになった。チーム練習だけでなく、教室内でも悪ふざけが目立つようになったというのだ。

あの当時からコーチは、
『この地域の子たちは、他の地域で教えている子らと違う。整列や挨拶、規律のある態度の必要なシーンも全くなっていない。学校の中でもそうなんですか?』
確かに、練習のはじまりや終わり、整列をかけてもダラダラと水を飲んでいる子や歩いてくる子もいて時間がかかる、コーチにまとわりついて離れない子もいる。
コーチは、この子たちが他の地域の子のように練習がまともに消化して終われないことに不思議な様子だった。号令をかける度にイライラしているようにさえ見えてくる。

『気の合う仲間と合わない人をあからさまに区別した付き合い』
『友だち感覚の横のつながり』
『自意識の高い言動』

保護者会で見える『親たちの映しカガミである子どもたち』だと思えば、それも納得できる。子どもたちの中にも、そういった子たちに流されている子もいれば、嫌な気持ちを溜めている子もいる。何事でもないように無関心に見える子もいる。

心の内はわからないけれど、規律の乱れた空間を共有することは、おかしい、苦痛と感じるのが健全な心ではないだろうか?

友だち感覚の家族が増え、父親の権限がなくなってきた。父親というイメージが昔に比べ、子どもたちの生活の中から遠のいてきた社会構造になってきていることにも問題がある。

ジェネラティビティ・クライシスの著書によると、超自我(=こういうことをしてはいけないと禁止する心の働き)が、内在化することがなく、育ってきているという問題が起こっているという。

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ネットマナー(=ネチケット)

インターネットを使う上で利用者が気をつけるマナーやルールを
@ネット + エチケット= ネチケット という。

地域の掲示板でよく目を通すものが2つある。①地域情報で知りたいことを読者に問いかけて得るものと、②2ちゃんねるのような地域の書き込みだ。

書き込みにあった質問や疑問に答える側の文面によっては、『叩き』や『炎上』が勃発する。(掲示板で起こる論争は『炎上』と呼ばれている。)的確に相手に伝える文章を書くというのは難しい。細かい揚げ足を取って感情的な対立の議論にならないように考慮したいものだ。

①では、アトピーの子どもの病院をどこに変えても同じなのでこのこれは!って先生の病院を知らないでしょうか?よいうもの。②では、進入禁止になった駅前のロータリーで、取締りが強化され駐車違反で罰金を払ったという書き込みに対してだった。

①に対して、2年くらいの間に4件の病院をドクターショッピングして、すぐ治るところを探すのはどんなものか?一つの病院を決めてアトピーのために家庭で出来る配慮をしつつ、じっくり治していったほうがいい、という内容で、「です」「ます」「!」の多様や「魔法の薬や治療があると考えていらっしゃるんですか?」のところに、『何を頭ごなしに怒っているんですか?』というものと、『そうは感じない、正論だ』という意見。

②については、『モラルや交通標識もちゃんと見れない奴は免許を返上しろ』の叩きが大多数で、『見落としたのはしょうがない、免許返上までの問題か』、と書いた人が叩かれた。

相手の顔が見られないコミュニケーションの場に、『優しさ』も『冷酷さ』も存在するのがネットの世界だ。このネットの書き込み内容の信憑性や誘導性についても疑問を持つこともある。『悪意』なのか、『故意』のものなのかわかり辛いが、固有名称が書き込まれたものに投稿者の真意が見えてくる。

叩かれた人を真面目に擁護し、受け答えする人が叩きのターゲットになりやすい。意見が対立しても気持ちのいい議論の内はいいが、煽る内容や尊厳を傷つける言葉が入りだすと、見ているほうも気持ちのいいものではなくなる。

中学掲示版や、お気に入りに入れていたブログの中にも、コメント欄に卑猥な内容の『荒し』が入った。掲示板の荒しにもひるむことなく中学生の楽しい会話はつながった。ブログの場合は、管理者がチェックしていかないと酷い状態にもなりかねない。

文章表現でみた場合、
投稿者に対して書き込みをする「です」「ます」「!」「?」の言葉について、言い切りの印象を受けかねない。相手から強要や否定をされたという思いを本人や読者に与えてしまう。送信するさいには、受けた場合の気持ちを考慮して読み返すだけの配慮がマナーでもある。

また、短文で書き込む場合も受け取り方は多様となるので、説明文をつけるくらいの親切な内容で相手に理解を求めて欲しいと思う。
(↑こいつバカ)なんて書く人が多いですが、全く議論になりませんね。

自分にも主張や考えがあるように、相手にもあるという現実社会で必要な意思のコミュニケーションが、ネットという空間で成立しがたいことが多々ある。
現実社会で、相手という生身の存在があるにも関わらずコミュニケーションの能力が希薄になってきているためなのか?ただ単にストレスの発散としてなのか?

相手の気持ちを慮(おもんばか)ることの出来る人は、想像力のある優しさと品格を携えている。こういった人の育成は、様々なシーンで必要だと感じている。

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「もったいない」と「みっともない」

MOTTAINAI・・もったいない、という言葉が世界的な用語になりつつある。
これは、ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣、ワンガリー・マータイさんのMOTTAINAIキャンペーンの成果だ。

勿体・無いという仏教用語が語源のようだが、物体を否定するという上で、勿体無いという物を大切に扱う心は、自然界のモノに、いのちが吹き込まれて、人が使うモノに作られていくという「ありがとう」や「おかげさま」の気持ちも込められた言葉だ。

そして平成の今、街中や電車でみる老若男女の醜態、みっともない姿に心を痛める。見た目に悪い「みとうもない」が語源のこのみっともないという言葉、「醜い、不恰好、醜態」といった類語が並ぶ。

他にも、はしたないという、礼儀や品性に欠けたという意味を持つ言葉も死語になりつつある。こういった言葉を重んじるところに日本人の奥ゆかしさがあったはずなのに・・・

・どこにでも座り込むジベタリアン
・階段に座り込んで歩行を阻むダンサリアン
・パンツやトランクスを見せて歩く見せパンの若いミニスカ女と腰パン男
・電車内で念入りに化粧の仕上げをする女性
・電車内で両足を広げて3人分の席を占領する男性
・ビニール袋を手に巻きつけて持ち帰る年配女性
・酔っ払って寝転がっているオヤジ
・タンを吐き捨てる若者とオヤジ
  ・・・などなど

人との関わりの中で生きているという気持ち「おかげさま」の心がなくなり、同じ空間にいる同じ感覚を持った仲間と自分だけしか見えていないのだ。

中学校から大通りまでの緩やかな坂の上に座り込んで(大声で)話をしている女の子達に出会ったことがある。昔からの傾向で制服の下には、体操服のハーフパンツ(今ではブルマはないですね)をはいている子が多い中、その子は、水玉のピンクのパンツがあらわになっていた。

何しろ、両足を肌蹴て手をうしろについて、まるで家の中でくつろいでいるかのような格好だ。坂を上がってくる私の視線は、頂上にいる女の子の水玉パンツに焦点がいってしまう。思わず、うしろに男性がいたら大変と振り返ってしまった。

近づいた私は、「パンツ丸見えだよ~、ピンクの水玉!足閉じるかして座りなよ。」
女子「みせパンだから平気なの~、これは、見せるためのパンツだからいいの。」

その頃、ネットや渋谷辺りでは、「使用済み下着」を売り買いして、小遣い稼ぎをする女子が取り上げられていた。今では、きわどい映像のホームページが大量に存在する。こういった本来、人前に出すべきでないモノが氾濫する。性(からだ)を売り物にするなんて、何てもったいない、それを扱う人もみっともない。

つまり、人のいのちそのもが大切にされない世の中で、モノを憐れみ、慈しむ心が育っていないのだ、魂のなくなったモノが氾濫する世の中に、もったいないみっともないの心を取り戻すためにも、「MITTOMONAI」の言葉も同時に広めていったほうがよいのでは、と思う。

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お手伝いと整理整頓

 うちには3人の子どもがいる。長女、長男、次男それぞれ3歳、6歳の年齢差で長女と次男は9歳の差がある。この子達には、決められた家のお手伝いがあって、長女は、夕食の配膳の用意と後片付け、長男は、風呂掃除、次男はゴミ出しをすることになっている。このルールは、お小遣いを渡すようになってから始まった。

 もちろん、年齢と仕事の内容と報酬額は比例している。怠けていた場合も勝手に差し引くことはせず、全額もらうに相当しているか考えさせ、自分で引いた額を申告する方法だ。マイナスになりそうな気配があると、“ 他の仕事も手伝うよ” と言ってくれるので私も大いに助かるというものだ。

 次男との会話(朝、遅刻間際でゴミを持っていかないこと2回あったよね?でも、この間のゴミは重かったよ!それに3つの時もあったし!出しすぎでしょ!うーんそうだったね。プラス・マイナスゼロだ!!肩たたきのサービス50回つけるよ。

 これも試行錯誤の結果で、ハイ、50円引きなんてサボるごとにやっていたらブーイングの嵐で、私の家事の下手さ加減や手抜きにまで口論が及んでしまった。やるときはやる、でもたまには手を抜きたいと思うこともあるでしょ!・・・なんて言ってから・・・そうでした。みんなそんな時があるんだよね。

 かくゆう私も整理整頓が、いつの間にか出来なくなってしまった原因のひとつに、学校に行けなくなった息子との攻防をあげていたが、実は自分の心の状態が整っていないからかな?っと思い始めた。“理” の話のことで、自分自身にある問題を息子のせいだから仕方ないと、すり替えていたのだ。問題解決を焦らずゆっくりと、あるべき場所に整えて考えていけば、納まっていくのかな?いらないモノ・余計なことはいらないとしなければ納まるものもパンクするんだ・・・。

 この考え方は、結構当たっていて、問題の起こった家庭は母親が家事に手をかけられなくなり、散らかった状態の家が多い。それでも何とか保っている家もあるが、かなり母親のストレスは爆発寸前のマックス状態だった。母親に心の余裕があると家の中が整い明るい。花や甘い香りの居心地の良い居場所を自分のため、子どものため、夫のために用意していたころがあった。あの頃のように、時々は、いらないモノ・余計なモノを “エイ!” と捨ててしまうことも必要だと、つくづく思うこのごろです。

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